マイク・フラナガン監督へのラブレター

私はマイク・フラナガン監督が好きだ。
好きな映画監督はいっぱいいるが、「誰が一番好き?」と聞かれたら、今の私は間違いなく彼の名前を挙げるだろう。
それぐらい彼と、彼の作り出す作品が大好きなのだ。


先日、マイク・フラナガン監督が『MIDNIGHT MASS』の撮影を無事に終了したとコメントしているのを見かけて、その真摯な言葉に胸が熱くなり、彼の制作してきた映画やドラマの話がしたい!!と思い立って今これを書いている。
マイク・フラナガン監督って誰よ?って人も、これから観ようかな~と思ってる人も、良ければこの愛をギッチギチに詰め込んだ文章にお付き合いしていただけると嬉しい。

 

マイク・フラナガン監督の映画に出逢ったのは昨年のことだ。

 これは『ドクター・スリープ』を観た直後の私の呟きである。
見てわかる通り、私は興奮のあまりに映画館で錯乱していた。

ぶっちゃけると、スタンリー・キューブリックの『シャイニング』は別に好きでも嫌いでもないし、それを観て激怒したスティーヴン・キングが自分で脚本を書いた方の『シャイニング』は観てもいない。
「『シャイニング』の40年後の続編?ユアン・マクレガー出てるし、『シャイニング』は一応観てるし、折角だから観ようかな」
ほんの軽い気持ちだった。
私はボコボコにされた。
今すぐ誰かに話を聞いてもらいたい。
でも、公開してすぐのこともあり、ネタバレをしながらの感想は言いたくない。
そもそも映画館で観るほどホラー映画が好きな人は私の周りには居ない。
(私でさえホラー映画を映画館で観られるようになったのはここ数年のことだ)
でも、私は今すぐにでも誰かとこの映画について熱く熱く語り合いたかった。

ほぼ正気を失っていた私は今年で20年の付き合いになる映画好きな友人に
「ねえ!!ちょっとだけ怖いけど最高な映画があるから『ドクター・スリープ』を一緒に観ようよ!?!!?絶対に貴方が好きな映画だから!!!!!!!!」と煽りに煽って数日後に一緒に観た。
観終わった後、友人も興奮した顔で「やばくない?????????」と言ってきた。
この時の私は最高にニヤついていいたに違いない。
私は「だろ!?!?!?!?!!?!?」と映画館のロビーで歓喜の声を上げ、お互いやばいやばいと言いながら、そのテンションで本屋に駆け込み、原作本を買ってカフェであのシーンがやばいだの、あのシーンが素晴らしいだの、何時間も盛大に語った。
私にとってはかなり濃密な数日間で、今でもあの時の高揚感とハッキリと覚えている。
こんな風になったのはクリストファー・ノーランの映画を生まれて初めて観た時以来かもしれない。
私は「また新しい映画監督に出逢えた!!」と心の底から幸せだった。


それから数ヶ月後、『ドクター・スリープ』のディレクターズカット版が配信された。
その時私は絶賛原作を読んでいる真っ最中で、どこがどう脚色されているのか、そもそもディレクターズカット版と劇場版は何がどう違うのか、比較して楽しみたかっただけなのだが、そこでまたしても衝撃が走る。


マイク・フラナガン監督………あまりにも天才すぎる。

 

何が天才って脚色力と編集力がずば抜けているのだ。
原作を読んでいる私からすればあの劇場公開版は1億満点を叩き出すレベルの続編映画だったし、ディレクターズカット版は原作が好きな人は絶対に喜ぶ仕様になっているのである。
いやこれは喜ぶなって方が無理。

 

ディレクターズカット版を観てから劇場公開版を観てみると、後者がいかに細かく細かくカットされて30分も削られたのかが分かる。(比較してみると開始5分でもう知らないシーンがいくつも存在する)
でも、その編集の仕方が素晴らしいのも、劇場公開版として正しかったのも分かる。
映画館で観るには多分長すぎるし、カットされたシーンは後半になって間延びしてくる要素のひとつになったはずだ。
一方、ディレクターズカット版は「劇場公開をする」という制限が無くなったことによりとにかく時間をたっぷり使っている。
監督がやりたいこと、商業的にはおそらく不要な要素だとしても映画の中に残したかったことを全部詰め込んで上手くまとめ上げたのがディレクターズカット版だと思う。

 

比較して全部挙げたい衝動に駆られるが、そこは是非劇場公開版とディレクターズカット版を見比べて楽しんでもらいたいので割愛する。
因みに先日『ドクター・スリープ』を一緒に観た友人に冒頭の10分だけ見比べてもらったのだが、「天才じゃん????????????」と一言をもらった。
分かる。


そして私が最も感動したのは、この映画が続編映画としても、小説の実写化としても完璧であるということだ。
そもそもこの映画の何が複雑にしているかというと、映画ファンと小説ファンそれぞれが『シャイニング』に対して賛否両論の意見を抱えているのに、スタンリー・キューブリックスティーヴン・キングの間にも深い溝がある点だと思う。
スティーヴン・キングキューブリック版の『シャイニング』が嫌いだという話は有名だ)
四方八方で喧嘩が勃発しているような状態で、それが40年間も続いてきた。
そんな中で発表されたのが『ドクター・スリープ』なのである。
私はスディーヴン・キングが絶賛したという言葉を見るよりも早く、「これはスタンリー・キューブリックとスディーヴン・キングが映画を通じて和解したな」と感じた。
これはどこからどう見ても『ドクター・スリープ』はキューブリック版の『シャイニング』の続編であると同時に、スディーヴン・キングの書いた小説の『シャイニング』の続編であり、『ドクター・スリープ』という小説の実写化として理想の遥か上をいっていた。
マイク・フラナガン監督のホラー映画とホラー小説をリスペクトし、こよなく愛する気持ちと、彼独自の手腕が生み出した結果である。

 

『ドクター・スリープ』を観てから私の人生は見事に動かされっぱなしで、「他の作品も観てみようかな」と思い始めた。
取り敢えずNetflixにて配信されている『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を視聴し始め、それと同じくらいのタイミングでマイク・フラナガン監督のTwitterInstagram(後者はもう閉鎖されているが、大好きなピザの写真が沢山載せられていてとても素敵なアカウントだった)をフォローし始めた。
マイク・フラナガン監督は結構マメに更新しており、その都度ファンと交流したり、ファンアートをRTしたり、とにかく気さくな方だと感じていた。

 

そんなある日、彼のこんな引用RTツイートを目にした。

mobile.twitter.com

 

この時マイク・フラナガン監督は2019年のお気に入りの映画の話を(彼は『名もなき生涯』『パラサイト』『アド・アストラ』『1917』『イエスタデイ』を挙げていた)していて、それに対して「『アド・アストラ』は意味がない。馬鹿げている」とファン?からリプライを貰ったようだった。
映画を観た時に感じたことなんて千差万別だし、好きも嫌いも良いも悪いもあるのが当たり前だと思っているが、それをわざわざリプライして本人に言わなくても良いのにな〜と思っていたところにマイク・フラナガン監督のこの言葉である。
(直訳すると「私はそれが好きで、それは私には完全に理にかなっています...しかし、私が言ったように、さまざまな人々がさまざまな映画を好きで、それは素晴らしいことです。 ひどくて意味がないのは、誰かが他の誰かのところに来て、彼らが好きなものについてどういうわけか間違っていると彼らに言うときです。ばかげている。」)

 

正直に言おう。
私はちょっとだけ泣いた。
映画監督である彼が引用RTに向き合い、人と違うことは素晴らしいことだと明確にすること。
それがどれだけ意味のあることなのか。
そして、こういう考え方の監督だから、『ドクター・スリープ』のダンはアブラに対してあの言葉を送るのだなと思った。


この一連のツイートは私を勇気づけてくれた同時に、心の底から喜びをもたらしてくれたのだ。
私はマイク・フラナガン監督の作品を端から端まで追いかけようと決めた。
ただ彼の映画が好きなだけではない。
彼の作り出す作品も、彼の映画に対する真っ直ぐな愛も、そして彼の人柄も、全部全部好きになってしまったのだ。

 

現時点でマイク・フラナガン監督の作品は映画を6作品、ドラマは2シリーズ鑑賞した。
どれも彼の持ち味を存分に発揮しており、とても素晴らしい作品なので、簡単な覚書をここに記しておこうと思う。

 

・『ドクター・スリープ(原題 Doctor Sleep)』
「シャイニング」という特集能力の名前が全く違う意味合いとして出てくるシーンがあるが、そのシーンがあまりにも完璧すぎて、私はこの映画を墓場まで大事に持っていくことを決めた。
子供が大変酷い目に遭うシーンがあって、その点だけはどうしても観られないし、わざわざ映す必要があったのだろうか?と今後も疑問を投げ続けるだろうが、それを差し引いてもこの映画は素晴らしい。
この映画に出てくる人達は社会の篩からこぼれ落ちてしまった弱者に寄り添い、世界からすればマイノリティに属する人間を見守る姿勢を貫き通す。
君は君のままで居ていいのだと優しく、そして力強く背中を押してくれるこの映画が私は大好きだ。
主人公のユアン・マクレガーにスポットライトが当たりがちだが、シャイニングを持つ子供、アブラを演じるカイリー・カランの瑞々しい演技にも是非注目して欲しい。

 

・『サイレンス(原題 HUSH)』
ホラー映画ではないが、ホラー映画のような撮り方をしているせいで結構怖い。
幽霊と対決しないから余計に背筋が寒くなるし、痛い描写も多いので気軽に観てね!!とは言えないのだが、私はとても好きだ。
聴力を失ったキャラクターが主人公で、ここまで完璧に撮られたサスペンス映画を私は他に観たことがない。
実際に聴力を失った俳優が主人公を演じていれば、きっと世の中で革命が起きたに違いない。
その点に関しては惜しいのだが、それでも手話で演技をして輝きを放つケイト・シーゲルは素晴らしいし、マイク・フラナガン監督とケイト・シーゲルが脚本を共同執筆しているのだから信頼しかない。(2人は2016年から結婚している)
彼女が掴み取った結末を是非見届けて欲しい。

 

・『オキュラス/怨霊鏡(原題 Oculus)』
こんなに最悪なホラー映画あるか!?!?ってくらい辛い。
例えるならホラー映画界の『ダークナイト』みたいなものだ。(そしてライジングしない)
怨霊の力があまりにも強すぎて、『死霊館』シリーズのウォーレン夫妻でさえ勝てるかどうか分からない。
それでもあの姉弟は怨霊に立ち向かわなければならなかったのだし、そもそも分かりきった絶望を目の前に勝負に出るのか出ないのか。
そこに重きを置いているような気がする。
作中でカレン・ギランのポニーテールがゆらゆら揺れているのを後ろから撮る。
その構図がもう怖い。
幽霊が映っていないのに心の奥底から不安にさせる監督は彼しかいないだろうと確信したのは多分この映画から。
余談だが、想像しただけで嘔吐してしまいそうなくらい痛いシーンがあるので、鑑賞には十分注意して欲しい。

・『ソムニア 悪夢の少年(原題 Before I Wake)』
ホラー映画でこんなに泣くことあるか!?ってくらい泣いた。
文章にすると全然伝わらないと思うが、終盤は涙が止まらなくて本当に困った。
SNS界隈ではこの映画を「泣けるホラー映画」と話題だったが、それ以上の完成度だ。
里親が里子を引き取って酷い目に遭うホラー映画は正直言うと何作かあるし、設定だけ見ると真新しさはあまり無いように思う。
しかしながら、そういう設定を踏襲しながらも里親が「あの子は悪くない」と言い切るシーンの力強さに涙してしまうし、今大ブレイクしているジェイコブ・トレンブレイの大人顔負けの演技が作品のレベルを見事に引き上げているところにも注目だ。
『ドクター・スリープ』でも特殊な力を持つ子供を見守る大人が出ていて、私はそういう所を愛しているのだが、その姿勢はこの映画からだったんだなあ、と今なら思う。
マイク・フラナガン監督にしては珍しくドラマチックな歌で物語を締めているところも好きだ。

・『ウィジャ ビギニング~呪い襲い殺す~(原題 Ouija:Origin of Evil)』
タイトルにあるウィジャとは、ウィジャボードと呼ばれるボードゲーム(日本でいうとコックリさん)のことで、2014年に公開されたホラー映画『呪い襲い殺す(原題 Ouija)』の前日譚となっている。
『呪い襲い殺す』は興行的には成功したものの、批評家にボロクソに言われたらしい。
しかし、今作ではマイク・フラナガン監督に好き勝手やって良いよ!(=マイク・フラナガン監督のアイディアを最大限に取り入れて制作して良いよ)と約束し、その結果が前作と異なり批評家の支持を得ているのだから、スタジオは彼に頭が上がらないだろうな、と勝手に思ったりする。
心をザワザワさせる不安な雰囲気は健在で、『オキュラス/怨霊鏡』と並んでしっかり観客を怖がらせてくれる。
因みに、私は前作を未見のまま観たが本作を観てから『呪い襲い殺す』を観てもなんら問題ない。
遊び心満載のエンドロールの後にオマケ映像があるので、是非最後まで観て欲しい。

 

・『ジェラルドのゲーム(原題 Gerald's Game)』
性生活がマンネリ化した夫婦がSMプレイをするというストーリーとは裏腹に、父親から性暴力を受けた女の子に焦点を当てている。
女の子が暴行を受けるシーンがギリギリ見えないように配慮されているものの本当に辛いので、観るタイミングには十分気を付けて欲しいが、この映画では性暴力による「見えない被害者たち」が主人公であり、そんな人達に寄り添い、背中を優しく押すラストシーンは見逃せない。
あのシーンの眩しさは私は一生忘れないだろう。
『オキュラス/怨霊鏡』で嘔吐しそうなくらい痛いシーンがあると上記したが、それを遥かに上回る痛いシーンがこの映画には存在する。
正直に言って、映画を観ていて初めて嘔吐しそうになった。
しかし、その痛いシーンが本作に絶対必要なのも分かる。
あのシーンは被害者たちの受けた傷のメタファーなのだから。

 

・『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス  (原題 The Haunting of Hill House)』
Netflixにて絶賛配信中のホラードラマ。
序盤はスロースタートなのだが5話を過ぎた頃からがマイク・フラナガン監督の真骨頂。
5話を見届けたらそのままラストまで一気に駆け抜けるしかない。
今までじっくり張られてきた伏線がどんどん回収されていく。
あれだけ絡みまくった伏線が最終的に一つの結末に結びつき、綺麗に幕が下りる。
全てが完全に機能している。
もう私は『スパイの妻』の蒼井優のように「お見事!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」としか言えなかった。
また、このドラマは白人の家族の物語だが、それ以外のキャラクターが色々な人種で構成されているところが嬉しい。
(他にもセクシュアルマイノリティや薬物依存者もちゃんと存在しているし、不妊の話にも触れている。)
ここまでちゃんと描けるホラードラマって多分無い。
一体どんな人達がこのドラマを作り上げているのだろう?と好奇心でIMDbを見てみたところ、監督、脚本、原案以外にも製作総指揮、編集に全てマイク・フラナガン監督が携わっている。
もうマイク・フラナガン監督って5人兄弟なのか?????と思ってしまうくらい働きまくっているのに、本当に全部が完璧なのが凄い。
マイク・フラナガン監督のホラー小説(原作はシャーリィ・ジャクスンの『丘の屋敷』)に対する溢れんばかりの愛を全身に浴びて欲しい。

 

・『ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー(原題 The Haunting of Bly Manor)』
こちらもNetflixで配信中のホラードラマ。
原作はヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』である。
前作と直接的な関わりはないが、今作では『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス  』でネルを演じたヴィクトリア・ペドレッティが主人公を演じている。
他にも前作でメインキャストを務めた俳優達が色々な役で登場しているのが見どころのひとつだ。
マイク・フラナガン監督はこのドラマでは原案と製作総指揮、監督としては最初の1話のみを担当し、後は他の人に任せるスタンスだった。
その1話目はマイク・フラナガン監督の持ち味が存分に発揮されており、1話目だけ異様に完成度が高く、印象に残る。
そしてこのドラマも前作に負けず不気味で良い。
ひとつ気になるところを挙げるとすれば、このドラマの結末だ。
世の中に『オールドガード』があることを知っている人達ならこのドラマの結末はきっと腑に落ちないだろう。
かくいう私もその一人であった。
しかし、このドラマには前作と異なり「語り手」が最初から存在していることを念頭に置いて2周目に挑戦してみて欲しい。
「語り手」の存在を強く意識すると、今まで観て感じたことが途端に信用できなくなるのだ。
是非何度でも観て色々な発見をしてもらいたいし、貴方なりの解釈をして欲しい。
確かなことは、これは間違いなく愛の物語である。

 

因みに『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス  』と『ザ・ホーンティング・オブ・ブライマナー』には隠れミッキーもとい、隠れ幽霊が画面のあちこちに映っているので、2周目に挑戦する際はそちらも探してみて欲しい。
私は物語を追うのに必死で全然探せていないのだが、本当にあちこちに映っているとのこと。

 

ここまで書いておいて、私はマイク・フラナガン監督の「不測の事態に対してどうするか、できることやるべきことをやろう。でもそれによって得る物もあれば失うものもある。不測の事態に向き合った結果が全て」みたいなテーマが大好きなのだと再確認した。
全てがハッピーエンドで終わるわけではないが、希望が無いわけではない。
どれもこれも全部「最悪な事態」と向き合った結果に過ぎない。
それは幽霊に置き換えられているだけで、私達が日々を生きていてぶち当たる壁と同じものではないのか?
幽霊の物語を多く手掛けながら、どこまでも身近に感じる。
そんな物語だからこそ、心から惹かれるのだと思う。

 

長くなりそうだと思っていたが、本当に長くなってしまった。
でも私は最高に楽しかったので、残りの作品を観たらちまちま追記しに来ようと思う。
私の狂ったような文章を読んで少しでもマイク・フラナガン監督の作品に興味を持ってもらえたら嬉しいし、観たよ〜!って人は軽率にリプライを飛ばしてほしい。

 

『MIDNIGHT MASS』超楽しみ!!!!!!!!!!!

※2021年2月19日に加筆修正しました※